こんばんは。今日のアドベントカレンダーをすっかり忘れてたので爆速で書いてます。この記事は「俺今年頑張った Advent Calendar 2019」16日目の記事です。前回はしそのはとうふさんの「Twitterを見て思ったことのまとめ(と言う名のポエム))」でした。「#俺の進捗を見てくれ」ハッシュタグではいつもお世話になっております。
汝、諦めよ
タイトルについてすらすら書いていきます。
やりたいこともやるべきことも、たくさんある。だけど、全然やれていない。僕には、わちきには、全然力が足りない。足りないんですよ。大量にもたらされるTODOとWANTの洪水を受け止めることは全然できてないんです。
しかし、そもそも、やりたいこととやるべきこと、こいつらってどこから来るのでしょうか。
ぼく、閃く
某所で呟いたらこの悩みが解決しました。
これは完全に気持ちの問題であるので、業務を調整して解決するものではないし、このままでもとにかく前進し続けなければこの状態は解決しないという厄介極まりない問題。これに十数年以上悩んでいる。
やれることはもちろん大きくなっている。しかし、それと同時にやりたいこともやるべきことも大きなる。永遠といたちごっこするわけだな。
つまり考えることが無駄なのではないか?
解決したというよりは、諦めて許した、といったほうが近いかもしれません。どういうことか解説していきます。
成長したらそいつらも出てくる
「やりたいこと」が溢れ出てくるのは割と理解ができるものだと思います。かなりの鬱状態である場合はこの限りではないですが、健康になるにつれて、やりたいことがじわじわと溢れてくるのはどうやら人間として自然の流れのようです。具体的なソースは出せなくてごめん。
でも、「やるべきこと」ですら溢れ出てくるのは不思議に聞こえるかもしれませんが、これは僕の中で発想の転換で決着をつけることにしました。
やりたいことをやろうとすると、それを叶えるためのマイルストーンとしてやるべきことが生えるのです。
そもそもやりたいことは自分の力が及んでいないことがだいたい前提にあります。能力値が足りていない場合や単に時間が足りないなど差はあれども、何らかが足りていません。そして、それを充足するには最低でも2つはやるべきことが出てきます。やりたいことがそもそも「足りていない」という意識の上にあり、さらに「やりたい」を充足させるために「やるべき」が増えるので、当然ながら「やれること」の受け皿が両者を充足することは永遠に訪れることはないのです。たとえ、仕事を辞めて、睡眠以外すべて「やりたいこと」に時間を充てられたとしても。
では、そのやりたいことを解決したとして、この問題は完了することができるのでしょうか?答えはNOです。そう、やりたいことを完了できたら、さらにやりたいことが出てきます。僕たちは1つやりたいことを完了させたことで、小さな山を制覇し、そこから見える景色をもとに、新たな山を見つけることができるのです。そうすると、見つけた山を登りたくなるのです。
人はこれを「成長」と名付けました。
しかして希望せよ
「やれること」の器には、その許容量を上回った「やりたいこと」と「やるべきこと」と名のついた水が延々と注がれていきます。その水量たるや、気持ちを滅入らせるには十分です。しかしながら、それらが先ほどの図のように一直線に浴びせかけるように傾けられているかどうかは、自分次第であるのです。やりたいこともやるべきことも増える。しかし、自分の考え方次第で、その水たちを少しずつ垂らすことができます。そして、やれることの器はそれらを少しずつ処理する間に大きくしていけばいいわけです。こうすれば、溢れることはありません。器の大きさがそいつらに追いつかなくても、溢れさせずに処理することは十分に可能です。
結局「スモールステップはつよい」という感想を持つに至りました。
「Mastodonから始めるFediverse探訪」を出したことでより明確になった
無事新刊を落とさずに第2回技書博に出すことができました。表紙含めちょうどA5-100ページの本にしたことで「新しい山」が見えました。この本のあとがきに書いたのですが、実はMastodonだけを取り上げるつもりは毛頭ありませんでした。Mastodonについてのトピックを第1章にまとめて、第2章以降にMastodon以外のいろいろなことを取り上げる予定でした。なお筆を進めた結果第1章~第5章までをMastodonのトピックが占めて力尽きました。でもこれはやりたいことをできることに注いだ結果そうなっただけであって、本を出すことができた現在においてはその水は「本」という形で器に「消化」されました。その結果、やれることの器は若干の余白を取り戻し、また「やりたいこと」を受け止める姿勢に入ることができたのです。この姿勢になったら、新しい山を登り始めることができましょう。
結局はこの繰り返しです。うまいこと「そいつら」の量を自分で調節し、消化し、歩を進めていく。そいつらは延々なくならないし、一気に水を突っ込まれたらパンクするけど、幸いにも僕らにはそいつらを調節することができるのです。
汝、しかして希望せよ。